サイト内検索

Pen Friend Clubs of Japan 青少年ペンフレンドクラブ

Pen Friend Clubs of Japan 青少年ペンフレンドクラブ

PFCの歴史

1949年(昭和24年)

郵便と旅する会

写真:郵便と旅する会当時の日本は、戦後の混乱が続いている時期にありましたが、3月の下旬、名古屋逓信局(現在の日本郵便株式会社東海支社)が主催した「郵便と旅する会」は、ポストへ投函された一通のはがきを追って、鉄道郵便車や赤い郵便自動車に乗って、目的地まで届けられる経路を、1日がかりでたどるものでした。

この会に参加した中学生30名あまりは、戦後いち早く立ち直ったこの郵便制度を目の当たりにして、「郵便を通じて、国内はもちろん、世界各国の友と話し合える」と希望を持ちました。

愛知県・東山動物園で発会式

写真:愛知県・東山動物園で発会式「郵便と旅する会」を通じて、郵便のすばらしさを教えられた中学生たちは、さらに5月8日に愛知県犬山市で開かれた子ども博覧会の「郵便友の会デー」へ参加しました。名古屋逓信局の展示によって、文通の喜びやすばらしさをより詳しく教えられ、文通活動サークル結成の準備に取り掛かりました。

1か月後の6月5日、名古屋市東山動物園の野外ステージで、郵便友の会(現在の名古屋東郵便友の会)の発会式が、600名の中、高校生を集めて行われました。

広がっていく輪そして初の全国大会

写真:広がっていく輪そして初の全国大会名古屋での発会式以降、全国各地で郵便友の会が結成され、10月末までに24の郵便友の会、会員数28,754名までに広がりました。

11月3日には、東京の日本大学大講堂で、郵政省主催、東京都教育庁後援で、早くも「第1回郵便友の会全国大会」が各地の代表62名を集めて開催されました。

1950年(昭和25年)

シンボル作りや郵便友の会ニュースの発行

写真:シンボル作りや郵便友の会ニュースの発行3月には、封筒に“なでしこ”の花をあしらった会員バッジが出来上がり、4月には会員相互の連絡や情報交換のための機関紙「郵便友の会ニュース」(以下「ニュース」という)創刊号の発行をはじめ、三信条や会旗等が制定されました。

慰問文通や施設慰問が盛んに

写真:慰問文通や施設慰問が盛んに5月の母の日に東京の渋谷、杉並郵便友の会が、同月7日には京橋、浅草郵便友の会がそれぞれ養老院(現・老人ホーム)を訪問し、身寄りのないお年寄りに対して、花束や慰問品を贈りました。

また、7月20日の「海の記念日」にちなんで、海上保安の任務についている灯台を守る人たちに対する激励の便りの差し出しが全国的な活動として展開されました。

1951年(昭和26年)

全国連合の結成

写真:全国連合の結成8月1日から3日間、京都市内で第3回全国大会が開催され、全国郵便友の会連合の結成や全国連合規約の制定が決定されました。
また、全国郵便友の会連合の結成と共に、全国郵便友の会連合事務局が発足しました。

1952年(昭和27年)

異国の獄窓へ励ましの便りを出す運動

写真:異国の獄窓へ励ましの便りを出す運動2月5日付「ニュース」に、北海道函館PFCの会員とフィリピンのニュービリビット刑務所に当時戦犯として服役中の人との文通の模様が掲載されました。

そのことがきっかけとなり、フィリピンや中国で戦犯として抑留生活を送っている同胞に対し、日本内地の様子を知らせたり、雑誌を送ったりする「異国の獄窓へ励ましの便りを出す運動」が全国的に広がりました。

母の日の行事

写真:母の日の行事5月11日、名古屋東PFCは「母の日」にちなみ、会員や東区、北区婦人会のお母さん200人を招待し、初の試みである「母へ感謝のつどい」を開催しました。

また、市内の生活困窮保護施設「新興寮」を訪問し、代表へ赤いカーネーションの花束を贈ると共に、同僚の母子との交歓会を行いました。さらに同日、大阪府連でも世界平和母性協会とタイアップして「母への感謝の会」を開催しました。

船養子文通

写真:船養子文通「船養子文通」は、長期の航海をする外国航路の船舶(親)と学校グループ(子ども)が養子縁組(文通によって親子になる)をして、船の各寄港地を経由して手紙を交換する“日本語による海外文通”です。

その最初の養子縁組が、6月、三重県光風中学校グループと大阪商船「はわい丸」との間に行われ、その後、続々と船養子縁組が結ばれました。航海中は会員から慰めと激励の便りが送られ、乗組員からは海の生活や立ち寄る外国の様子等が知らされました。

1953年(昭和28年)

初のジュニア・リーダー講習会

写真:初のジュニア・リーダー講習会福島PFCは、7月26日から三日間、ジュニア・リーダー講習会を兼ねてサマー・ハウスを開催しました。

これは郵便友の会として、初のジュニア・リーダー講習会の開催で、OB会員等からキャンプ・ファイヤーや「愛の翼」の歌唱指導等を受け、高原のキャンプ生活を楽しみました。

過疎地の子どもたちを慰問

写真:過疎地の子どもたちを慰問6月15日付「ニュース」で「人里はなれた山村や離れ小島で、さびしく暮らすお友だちに慰問の便りを出しましょう」と呼びかけ、離れ小島や開拓地等、生活に不便な過疎地の小・中学生との文通や慰問活動が展開されました。

1954年(昭和29年)

通信討論

写真:通信討論1月、中国地連では、中学・高校の学校グループの代表校を選び、一定のテーマを決めて、郵便を利用して意見・主張を交換する「通信討論」を実施し、新しい形式の文通活動を開拓しました。

その後、「ニュース」100号記念行事の一環として、中国地連が行った活動を全国的規模に拡大した「全国通信討論」が行われました。そして、高校は「読書は精読か多読か」中学は「映画観覧は自由制か許可制か」を課題として実施されました。

集団文通・テーマ文通へ

写真:集団文通・テーマ文通へ船養子文通や通信討論にヒントを得て、集団文通という新しい考え方が国内文通の方法として取り上げられるようになりました。
この集団文通についても、最初は学校から学校へ、全員がそれぞれ書いた手紙を一つの大きな封筒に入れて送れば集団文通という程度の考え方がありましたが、次第にグループ内でテーマを決めて話し合う形式、いわゆるテーマ文通へと発展していきました。