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Pen Friend Clubs of Japan 青少年ペンフレンドクラブ

Pen Friend Clubs of Japan 青少年ペンフレンドクラブ

PFCの歴史

1985年(昭和60年)

科学万博ポストカプセル2001へ参加

写真:科学万博ポストカプセル2001へ参加郵政省は、茨城県筑波研究学園都市で開催の国際科学技術博覧会(3月17日~9月16日)を記念して、「科学万博ポストカプセル2001-21世紀のあなたに届ける夢の郵便-」を実施しました。

協会は協賛団体として加わり、全国連合も年間活動目標に取り上げ、郵便友の会全体で積極的にその推進に努めました。当初の目標100万通が、全国の会員の積極的な参加と呼びかけにより、多くの人々の関心を集め、予想の三倍を超える326万通もの成果をもたらし、大成功のうちに終了しました。

この郵便は、15年間、郵政省が保管し、西暦2001年正月に、各あて先へ届けられました。

1986年(昭和61年)

三信条改正とお年寄りの方々に手紙を書く運動

写真:三信条改正とお年寄りの方々に手紙を書く運動国際平和年、被爆40周年にふさわしく、被爆の地・広島の国立江田島青年の家で、第38回全国大会が8月13日から15日まで開催され、三信条・基本規約を改正する等、郵便友の会の歴史に残る重大な協議と決定が行われました。

また、国際平和年の主旨に基づいて、世代間を超えたコミュニケーションの促進を図るため、「お年寄りの方々に手紙を書く運動」の決議を行いました。さらに、この決議を自ら実践するため、大会期間中に参加者全員が原爆養護老人ホーム「むつみ園」のお年寄りへ、激励の手紙を書いて差し出しました。

1987年(昭和62年)

北海道地連から雪だるま

写真:北海道地連から雪だるま
写真:北海道地連から雪だるま

北海道地連では、1月14日から15日まで、ジュニア・リーダー研修会を開催し、その研修会場から友愛の気持ちを込めて、東京地連の代表校3校あてに“雪だるま”郵便小包を送付しました。

この友情にこたえて、東京地連では、伊豆大島の郵便局長と連絡を取り、前年11月の大噴火で話題となった同島の三原山の溶岩を手に入れ、3月12日、返礼として北海道地連の代表4校へ送りました。

沖縄慰霊の日に全国の協力で折り鶴

写真:沖縄慰霊の日に全国の協力で折り鶴沖縄県には、沖縄戦没者を追悼する「沖縄慰霊の日」が設けられています。沖縄地連では、毎年、国立沖縄戦没者墓苑や各県の慰霊碑の周りの清掃作業を、この日にちなむ活動として実施してきましたが、この年の6月21日、戦跡巡りと各県慰霊碑に折り鶴をささげ、平和を祈念する式典を行いました。

折り鶴の奉納では、沖縄地連からの要請を受けて各府県連から届いた折り鶴が、沖縄の会員たちによって、各県の慰霊碑へ供えられました。

シルバーPFCと初の交流

写真:シルバーPFCと初の交流8月5日から7日まで、国立能登青年の家で開催された第39回全国大会に、地元金沢市に初めて結成されたシルバーPFC(現・シニア郵便友の会)「向陽苑シニア文通友の会」の代表4名を招待しました。

ここでは、同会の結成のお祝い、今後の交流と協力への誓いを込めて、各地連からの記念品を贈り、激励しました。

1988年(昭和63年)

協会の招待でフィオセス東京総会

写真:協会の招待でフィオセス東京総会5月24日から3日間、「FIOCES東京特別総会」を開催しました。歴史のあるフィオセスだが、日本では会議を開催するのは初めてで、イギリスやフランス、ブラジルなど11か国から加盟団体の代表24名が、協会の招待で参加しました。

主な議題は、今後の国際文通活動の推進とアジア地域の加盟団体の」情報交換の促進と連携・連帯の在り方に関してでした。開会式では、全国の会員を代表して、東京地連委員長が英語で歓迎のメッセージを朗読し、フィオセス会長をはじめ、各国の代表を感激させました。

「花の万博」を世界の友に知らせる運動

写真:「花の万博」を世界の友に知らせる運動
写真:「花の万博」を世界の友に知らせる運動

近畿地連では、「やさしく、美しく、花の心で世界の友と文通を結ぼう」をテーマに、2年後の1990年に大阪市で開催される「国際花と緑の博覧会」に向けて、周知活動を開始しました。

その第一弾は、10月9日に開催した国際文通週間のつどいにおいて、「花博を世界の友に知らせよう」の下に、参加者全員が国内・海外のペンフレンドや国内のPFC結成校あてに、花博の開催主旨と参加を呼びかけるメッセージカード等を差し出しました。

翌年には、自然環境保護の活動の一環として、年間活動目標に盛り込み、本格的な全国的運動として広がったが、近畿地連では、第二弾として「さくらの苗木を送る運動」を打ち出しました。協会は、さくらの苗木を送る運動を推進するため、英文カードと運動への参加協力の依頼文書1,700組を全国の結成校へ配布しました。

1990(平成2年)には、第三弾として花博会場に建設され、永久保存される「いのちの塔」への参加を呼びかける「花博で会いましょう」活動が行われました。そして、会員たちの呼びかけに答えて、26か国201名のペンフレンドからのメッセージと、各国の花や森を背景にした記念写真が届き、いのちの塔内に展示されました。

1991年(平成3年)

ハロー!USAペンパル・サービス

写真:ハロー!USAペンパル・サービス7月22日から翌年3月31日まで、郵政省と協会は、米国の少年少女との国際文通を希望する児童・生徒に、同世代の文通相手を紹介するサービスを行いました。

この事業は、米国郵政庁がバルセロナ・オリンピック開催を記念して、同国の子供と世界の子供たちが、文通で国際理解を深め合うことを願って始められたものです。応募者は1万4,165名と大変な人気を呼びました。

1992年(平成4年)

アース・イヤー'92に取り組む

写真:アース・イヤー'92に取り組む6月16日、山形県の鶴岡北高校と鶴岡家政高校の両グループは、アース・イヤー'92にちなむ活動として環境保全を呼びかけるキャンペーンを行いました。

まず地元で開催される“べにばな国体”で、鶴岡市がアーチェリーやサッカー等の競技会場となることに着目し、きれいな街づくりとアース・イヤーの説明を入れたチラシ、花の種、風船を添えて、環境保全を呼びかける街頭キャンペーンを行いました。また、牛乳パックから作った再生はがきを利用して、各都道府県知事あてに、国体のPRと出場選手にあてて、激励の便りを差し出しました。

水溶性の夢風船でロマン飛行

写真:水溶性の夢風船でロマン飛行徳島県富岡西高校グループは、9月9日から10日まで、同校で行われた文化祭で、浪漫飛行というテーマの下に、地球に優しい水溶性の夢風船を放流しました。

その風船には、13種類の花の種を入れ、風船が落ちて溶けると種だけが残り、緑を増やすことにも配慮しました。また、牛乳パックから作った再生紙のメッセージカードを添えて、放流後、拾った人に手紙を書いてもらうようにしました。

1993年(平成5年)

各地で絵手紙・おもしろ遊便が盛んに

写真:各地で絵手紙・おもしろ遊便が盛んに
写真:各地で絵手紙・おもしろ遊便が盛んに

その年の年間活動目標に「多彩な文通を通して…」が盛り込まれ、国内文通では絵手紙やおもしろ遊便を取り入れ、楽しさや遊び心を盛り込む工夫が試みられました。

特に、おもしろ遊便では、北海道での全国大会の際、参加者が各地連ごとに持ち寄ったおもしろ遊便を使用してメッセージを書き上げ、道内のお年寄りへ差し出し、大きな反響を呼びました。

1994年(平成6年)

レター・ボランティア

写真:レター・ボランティア2月23日、山形県鶴岡家政高校グループは病院を訪問し、体が不自由で手紙が書けない入院患者に代わり、会員たちがその人たちの了解を得て、代筆作業を行いました。

また、徳島県連でも、2月27日に老人ホームを訪問した際、いろいろな事情で手紙を書けないお年寄りのために、同様の活動を実施しました。

顧問教師による海外教育事情視察団

写真:顧問教師による海外教育事情視察団協会は、「第1回郵便友の会顧問教師海外教育事情視察団」として、7月21日から27日まで、顧問教師らの代表22名をマレーシアへ派遣しました。

これは国際的視野に立った文通教育の促進を図ることを目的に行ったもので、一行はペナンの日本人学校やクアラルンプールの小学校と中学校、マレーシア郵政庁等を視察しました。